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胎児の夢 - 夢野久作 [复制链接]

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  胎児の夢[#「胎児の夢」は本文より5段階大きな文字]
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
――人間の胎児によって、他の動植物の胚胎の全部を代表させる。
――宗教、科学、芸術、その他、無限の広汎に亘るべき考証、引例、及《および》、文献に関する註記、説明は、省略、もしくは極めて大要に止める。
[#ここで字下げ終わり]
 人間の胎児は、母の胎内に居る十箇月の間に一つの夢を見ている。
 その夢は、胎児自身が主役となって演出するところの「万有進化の実況」とも題すべき、数億年、乃至《ないし》、数百億年に亘るであろう恐るべき長尺《ちょうじゃく》の連続映画のようなものである。すなわちその映画は、胎児自身の最古の祖先となっている、元始の単細胞式微生物の生活状態から初まっていて、引き続いてその主人公たる単細胞が、次第次第に人間の姿……すなわち胎児自身の姿にまで進化して来る間の想像も及ばぬ長い長い年月に亘る間に、悩まされて来た驚心《きょうしん》、駭目《がいもく》すべき天変地妖《てんぺんちよう》、又は自然|淘汰《とうた》、生存競争から受けて来た息も吐《つ》かれぬ災難、迫害、辛苦、艱難《かんなん》に関する体験を、胎児自身の直接、現在の主観として、さながらに描き現わして来るところの、一つの素晴しい、想像を超越した怪奇映画である。……その中には、既に化石となっている有史以前の怪動植物や、又は、そんな動植物を惨死、絶滅せしめた天変地異の、形容を絶する偉観、壮観が、そのままの実感を以て映写し出される事はいう迄もない。引続いては、その天変地妖の中に、生き残って進化して来た元始人類から、現在の胎児の直接の両親に到るまでの代々の先祖たちが、その深刻、痛烈な生存競争や、種々雑多の欲望に駆られつつ犯して来た、無量無辺の罪業の数々までも、一々、胎児自身の現実の所業として描き現わして来るところの、驚駭と戦慄とを極めた大悪夢でなければならぬ事が、次に述べる通りの「胎生学」と「夢」に関する二つの大きな不可思議現象を解決する事によって、直接、間接に立証されて来るのである。
 まず第一に、人間の胎児が母の胎内に宿った時、その一番最初にあらわしている形は、すべての生物の共同の祖先である元始動物と同様に、タッタ一つのマン丸い細胞である。
 そのマン丸い細胞の一粒は、母胎に宿ると間もなく、左右の二粒に分裂増殖する。そうしてそのまま密着し合って、やはり一個の生物となっている。
 その左右の二個はやがて又、各々《おのおの》上下の二個ずつに分裂、増殖する。そうして矢張《やは》り、その四個とも一つに密着し合って、母胎から栄養を摂《と》りつつ、一個の生物の機能を営んでいる。
 かようにして四個、八個、十六個、三十二個、六十四個……以上無数……という風に、倍数|宛《ずつ》に分裂しては密着し合って、次第次第に大きくなりつつ、人類の最初の祖先である単細胞の微生物から、人間にまで進化して来た先祖代々の姿を、その進化して来た順序通りに、間違いなく母胎内で繰返して来る。
 まず魚の形になる。
 次にはその魚の前後の鰭《ひれ》を四足に変化さして匐《は》いまわる水陸両棲類の姿にかわる。
 次には、その四足を強大にして駈けまわる獣《けもの》の形態をあらわす。
 そうして遂には、その尻尾《しっぽ》を引っこめて、前足を持上げて手の形にして、後足で直立して歩きまわる人間の形……普通の胎児の姿にまで進化してからオギャアと生まれる……という段取りになるので、そうした順序から、これに要する時間までも、万人が万人、殆ど大差ないのが通例になっている。
 これは胎生学上、既にわかり切っている事実で、誰一人、否定し得ない現象であるが、扨《さて》、それならば、あらゆる胎児は何故《なにゆえ》に、そのような手数のかかる胎生の順序を母胎内で繰返すのであろうか。何故に、直ぐさま小さな人間の形になって、そのままに大きくなって、生まれて来ないのであろうか。又は、最初のタッタ一粒の細胞が何故に、そんなに万人が万人申合せたように、寸分|違《たが》わぬ胎生の順序を繰返して来るのであろうか。すなわち……
「何が胎児をそうさせたか」
 という問題になると、誰一人として適当の解釈を下し得るものが居ない。現代の科学書類の隅から隅まで探しまわってもこの解釈だけは発見されない。唯、不思議というよりほかに説明の仕様がない事になっている。
 次に、一切の胎児は斯様《かよう》にして、自分の先祖代々が進化して来た姿を、その順序通りに寸分の間違いなく母の胎内で繰返して来るのであるが、しかしその経過時間は非常に短かめられているので、人間の先祖代々の動物が、何百万年かもしくは何千万年がかりで鰭《ひれ》を手足に、鱗《うろこ》を毛髪に……といった順序に、少しずつ少しずつ進化させて来た各時代時代の姿を、僅かに分とか、秒とかで数え得る短時間のうちに繰返して、経過して来る事さえある。これは既に一つの説明の出来ない不思議として数えられ得るのであるが、更に今一歩進んだ不思議な事には、その縮められている時間と、実際の進化に要した時間の割合が、決して出鱈目《でたらめ》の割合になっていないらしい事である。
 すなわち人間の胎児は凡《およ》そ十箇月間で、元始以来の先祖代々の進化の道程を繰返す事になっているのであるが、その他の動物は概して、進化の度合が低ければ低いだけ、その胎生に要する時間が短かくなっているので、進化の度の最も低い……すなわち元始時代の姿のままの、細菌、その他の単細胞動物は大部分、胎生の時間を全然持たない。そのままの姿で分裂して二つの新しい生物になって行く……というのが事実上の事実になっているのであるが、これは一体、どうした理由であろうか。進化の度の最も高い人間の胎児は何故《なにゆえ》に、最も長い胎生の時間を要するのであろうか。換言すれば、
「何が胎児をそうさせるか」
 という問題に就いて適当の解釈を加えようとすると、現代の科学知識では絶対に不可能である事が発見される。やはり唯、不思議というよりほかに説明の仕様がない事になっているのである。
 以上は胎児に関する不可思議現象の実例であるが、次に、こうして出来上った人間の「肉体」を、解剖学方面から研究、観察してみると又、同じような不可思議現象が数限りなく現われて来る。
 すなわち人間の肉体なるものを表面から観察してみると、その進化の度が高いだけに……換言すればその胎生に念が入っているだけに、他の動物よりも遥かに高尚優美に出来上っている事が、とりあえず首肯《うなず》かれるであろう。その柔和な、威厳を含んだ眼鼻立から、綺麗な皮膚、美的に均整した骨格や肉付きまで、如何にも万物の霊長らしく見受けられるのであるが、しかし一度《ひとたび》その肉体の表皮を剥《め》くって、肉を引き離し、内臓を検査し、脳髄や五官の内容を解剖して細かに観察してみると、その各部分部分の構成は一つ一つに、下等動物から進化して来た吾々の先祖代々、魚、爬虫《はちゅう》、猿等の生活器官の「お譲り」である事が、判明して来る。すなわち一本の歯の形にも、一筋の毛髪の組織にまでも、それをそこまで洗練し、進化させて来た、驚くべき長年月に亘る自然淘汰の大迫害、もしくは生存競争の辛苦艱難の歴史がアリアリと記録されているので、そんな歴史を一々刻明に記念して、その通りに胎児の姿を繰返して進化させて、人間の姿にまで仕上げて来たあるもの[#「あるもの」に傍点]の偉大、深刻なる記憶作用が、完成した人間の細胞の隅々までも、明瞭に刻み付けられているのである。
 いう迄もなく斯様《かよう》な現象は進化論、遺伝学、又は解剖学等々で如実に証明されている事柄だから、ここには詳細な説明は加えないが、しかし、それは何者が記憶していて、そのような歴史を繰返させたか。
「何が胎児をそうさせたか」
 という事に就いては、まだ、何一つ説明が与えられていない。やはり唯、一つの不思議というよりほかに説明出来ない事になっている。
 しかも、そればかりではない。
 更に今一歩突込んで、人間の精神なるものの内容を観察すると、斯様な事実が、更に一層、深刻痛切に立証されて来る。
 すなわち人間の精神も亦《また》、これを表面から観察すると、他の動物とはトテモ比較出来ない程、段違いの美しさを現わしている。「人間は万物の霊長である」という自覚、もしくは「文化的プライド」と名付くる、所謂《いわゆる》「人間の皮」一枚を以て、自己の精神生活の内容を蔽《おお》い包んで、常識とか、人格とか名付くるお化粧を施して、超然と澄まし返っているのであるが、しかし一旦、その表皮、すなわち人間の皮なるものを一枚剥ぎ取ってみると、その下から現われて来るものは、やはりその人間の遠い遠い祖先である微生物が、現在の人間にまで鍛い上げられて来た、驚くべき長年月に亘る自然淘汰、生存競争の大迫害に対する警戒心理、もしくは生存競争心理が、その時代時代の動物心理の姿で、ソックリそのままに遺伝されたものばかりである事実が、余りにも露骨に発見されて来るのである。
 まず所謂、文化人の表皮……博愛仁慈、正義人道、礼儀作法なぞで粉飾してある人間の皮を一枚|剥《め》くると、その下からは野蛮人、もしくは原始人の生活心理があらわれて来る。
 この事実を最もよく立証している者は無邪気な小児である。まだ文化の皮の被《かぶ》り方を知らない小児は、同じように文化の皮の被り方を知らない古代民族の性格を到るところに発揮して行くので、棒切れを拾うと戦争ゴッコをしたくなるのは、部落と部落、種族と種族の間の戦争行為によって生存競争を続けて来た、所謂、好戦的な原始人の性質の遺伝、すなわち細胞の中に潜在して伝わって来た野蛮人時代の本能的な記憶が、棒切れという武器に似た恰好のものの暗示によって刺戟され、眼醒めさせられたものである。虫ケラを見付けると、何の意味もなしに追い廻してみるのは、動くものを見れば、何でも追いかけてみるという狩猟時代の心理の遺跡を、虫ケラの暗示によって刺戟誘発されたもので、そうして捕え得た虫ケラの手足を※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》ぎ取り、羽翼を奪い、腹を裂き、火に焙《あぶ》りなぞして、喜び戯《たわむ》れるのは、そうした方法に依って獲物や、俘虜を処分し、飜弄し、侮辱して、勝利感、優越感を徹底的に満足させようとした古代民族の残忍性の記憶を、そのままに再現しているものに外ならないのである。又、赤ん坊を暗い処に置くと泣き出すのは、やはり火を持たぬ時代の原始人が、猛獣毒蛇に満ち満ちた暗黒に対する恐怖の復活で、どこへでも大小便を洩らすのが大昔、樹の根や、草の中に寝ていた時代の習慣の再現である事は、現代の進歩した心理学の研究によって説明されている通りである。
 次にこの野蛮人もしくは、原始人の皮を今一度|剥《め》くってみると、その下には畜生……すなわち禽獣《きんじゅう》の性格が一パイに横溢している事が発見される。
 たとえば同性……すなわち知らない男同志か、女同志が初対面をすると、一応は人間らしい挨拶をするが、腹の中では妙に眼の球《たま》を白くし合って、ウソウソと相手の周囲を嗅ぎまわる心理状態をあらわす。油断をすると相手の尻のあたりまで気を廻して、微細な処から不愉快な点を発見して、お互いに鼻に皺《しわ》を寄せ合ったり、歯を剥き出し合ったりする気持をほのめかす。ウッカリすると吠え立てる。噛み付く……町の辻で出会った犬猫の心理と全然同一である。そのほか自分より弱いものを見付けると、ちょっと苛《いじ》めてみたくなる。すこし邪魔になる奴は殺してくれようかと思う。誰も居なければ盗んでやろうか。他《ひと》の小便を嗅《かい》でおこうか。自分の遺物は埋めておこうか……なぞいった畜生のままの心理の表現を、吾人は日常生活の到る処に発揮しているので、誰でも口にする「コン畜生」とか「この獣《けだもの》め」とかいう罵倒詞に当て嵌《はま》る心理のあらわれは皆、これに他ならぬのである。
 次に、この禽獣性の下に在る隔膜《かくまく》を、今一つ切開くと今度は、その下から虫の心理がウジャウジャと現われて来る。
 たとえば、仲間を押し落しても高い処へ匐《は》い上ろうとする。誰にも見えない処を這い廻って美味《うま》い事をしようとする。うまい事をすると、すぐに安全第一の穴へ潜り込もうとする。栄養のいい奴を見付けるとコッソリ近付いて寄生しようと試みる。あたり構わぬ不愉快な姿や動作をして一身を保護しようとする。固い殻に隠れて寄せ付けまいとする。敵と見ると、ほかの者を犠牲にしても自分だけ助かろうとする。いよいよとなると毒針を振廻す。墨汁《すみ》を吹く。小便を放射し、悪臭を放散する。又はそこいらの地物《じぶつ》や、自分より強い者の姿に化ける……なぞ、低級、卑怯な人間のする事は皆、かような虫の本能の丸出しで、俗諺《ぞくげん》にいう弱虫、蛆虫《うじむし》、米喰《こめくい》虫、泣虫、血吸《ちすい》虫、雪隠《せっちん》虫、屁放《へっぴり》虫、ゲジゲジ野郎、ボーフラ野郎なぞいう言葉は、こうした虫ケラ時代の心理の遺伝したもののあらわれ[#「あらわれ」に傍点]を指した軽蔑詞に外ならない。
 次に……最後に、この虫の心理の核心……すなわち人間の本能の最も奥深いところに在る、一切の動物心理の核心を切開いてみると、黴菌《ばいきん》、その他の微生物と共通した原生動物の心理があらわれて来る。それは無意味に生きて、無意味に動きまわっているとしか思えない動き方で、所謂群集心理、流行心理もしくは、弥次馬心理というものによって、あらわされている場合が多い。その動きまわっている行動の一つ一つを引離してみると、全然無意味なもののように見えるが、それが多数に集まると、色々な黴菌と同様の恐るべき作用を起す事になる。すなわち光るもの、立派なもの、声の高いもの、理屈の簡単なもの、刺戟のハッキリしているもの、なぞいう新しい、わかり易いものの方へ方へと群がり寄って行くのであるが、無論判断力もなければ、理解力もない。顕微鏡下に置かれた微生物と同様の無自覚、無定見のまま恍惚として、大勢に引かれながら大勢が行く。そこに無意味な感激があり、誇りと安心があるのであるが、しまいには何という事なしに感激のあまり夢中になって、惜し気もなく生命《いのち》を捨てて行く……暴動……革命等に陥って行く有様は、さながらに林檎酸《りんごさん》の一滴に集中する精虫の観がある。
 人間の心理はここに到って初めて物理や、化学式の運動変化の法則に近づいて来る。すなわち無生物と皮一重のところまで来るので、政治家、その他の人気取りを職業とするものが利用するのは、かような人間性の中心となっている黴菌性の流露に外ならないのである。
 斯様《かよう》な心理の中で、最単純、低級なものを中心にして、外へ外へと高級、複雑な動物心理で包み上げて、その上を所謂、人間の皮なるもので包装して、社交、体裁、身分家柄、面目人格なぞいうリボンやレッテルを以て飾り立て、お化粧を塗って、香水を振かけて大道を闊歩して行くのが、吾々人類の精神生活であるが、その内容を解剖してみると大部分は右の通りに、人体細胞の中に潜在している祖先代々の動物心理の記憶が、再現したものに他ならない事が発見されるのである。しかしこれとても前に述べた肉体の解剖的観察と同様、胎児が如何にしてそんな千万無量の複雑多様の心理の記憶を、その細胞の潜在意識、もしくは本能の中に包み込んで来ているのか、
「何が胎児をそうさせたか」
 というような事柄は全く説明されていない。否、一個の人間の精神の内容が、そんなような過去数億年間に於ける、万有進化の遺跡そのものであるという事実すらも「人間は万物の霊長」とか「俺は人間様だぞ」とかいう浅薄《あさはか》な自惚《うぬぼ》れに蔽《おお》い隠されて、全然、注意されていない状態である。
 以上は胎児の胎生と、その胎生によって完成された成人の肉体と、精神上に現われている、万有進化の遺跡に関する不可思議現象を列挙したものであるが、次にはその人間が見る「夢」の不可思議現象に就いて観察する。
 夢というものは昔から不思議の代表と認められているので、少しでも意外な事に出会うと、直ぐに「これは夢ではないか」と考えられる位である。実物とすこしも違わぬ森羅万象《しんらばんしょう》が見えるかと思うと、想像も及ばぬ奇抜、不自然な風景や、品物がゴチャゴチャと現われたり、その現われた風物に、現実世界に於ける心理や、物理の法則が、その通りに行われて行くかと思うと、神話、伝説にもないような突飛《とっぴ》な法則によって、その風物が行きなり放題に千変万化したりするので、その夢の正体と、そうした夢の中の心理、景象の変化の法則については古来、幾多の学者が、頭を悩まして来たものであるが、ここにはそのような夢の特徴の中でも、夢の本質、正体を明らかにする手がかりとして最も重要な、左の三項を挙げる。
[#ここから1字下げ]
 (一[#「一」は太字])夢の中の出来事は、その進行して行く移り変りの間に非常に突飛な、辻褄《つじつま》の合ないところが屡々《しばしば》出て来る。否。そのような場合の方がズッと多いので、そんな超自然な景象、物体の不合理極まる活躍、転変が、すなわち夢であると考えた方が早い。にも拘わらず、その夢を見ているうちには、そうした超自然、不合理を怪しむ気が殆ど起らないばかりでなく、その出来事から受ける感じがいつでも真剣、真面目《しんめんもく》で、現実もしくは現実以上に深刻痛切なものがあること。
 (二[#「二」は太字])未だ曾て、見た事も聞いた事もない風景や、ステキもない天変地妖が、実際と同様の感じをもって現われて来ること。
 (三[#「三」は太字])夢の中に現われて来る出来事は、それが何年、何十年の長い間に感じられる連続的な事件であっても、それを見ている時間は僅に分、もしくは秒を以て数え得る程に短かいものである事が近代の科学によって証明されていること。
[#ここで字下げ終わり]
 以上列挙して来たところの「胎児」と「夢」とに関する各種の不可思議現象は、何人《なんぴと》も否定し得ない科学界の大疑問となっているのであるが、しかも、そうした不可思議現象が、何故《なにゆえ》に今日まで解決されていないか。これらの不思議を解決する鍵が、どうして今日まで、誰にも見当らなかったかという疑問について考えてみると、これには二つの原因がある。
 その一つは人間を胎生させ、且《か》つ、その胎生によって完成した成人に夢を見せるところの人体細胞に関する従来の学者の考え方が、全然間違っていること、それから今一つは、この宇宙を流れている「時間」というものに対する人類一般の観念が、根本的に間違っていること……とこの二つである。
 言葉を換えて云えば、人体を組織している細胞の一粒一粒の内容は、その主人公である一個の人間の内容よりも偉大なものである。否。全宇宙と比較されるほどのスバラシク偉大複雑な内容、性能を持っているものである。だからその細胞の一粒の内容を外観から顕微鏡で覗き、その成分を化学的に分析し、その分裂、繁殖の状況をその形態や、色彩の変化によって研究する従来の唯物科学式の行き方では到底、細胞の内容、性能の偉大さは解るものでない。それは英雄、偉人の生前の業績を無視して、単にその屍体の外貌を観察し、内部を解剖する事のみによって、その偉大な性格や、性能を確かめようとするのと同様の無理な註文である。……又、時間というものに就ても同様の事がいえる。……中央気象台や、吾々の持っている時計の針や、地球、太陽の自転、公転なぞによって示されて行く時間というものは真実の時間ではない。唯物科学が勝手に製作し出した人工の時間である。錯覚の時間、インチキの時間である。……真実の時間というものは、そんな窮屈な、寸法で計られるような固苦しいものではない。モットモット変通自在な、玄怪不可思議なものである……という事実が実際に首肯出来れば、同時に「胎児の夢」の実在が、首肯出来る筈である。生命の神秘、宇宙の謎を解く鍵を握ったも同然である。
 元来細胞なるものは、人間の身体の何十兆分の一という小さい粒々《つぶつぶ》で、度の弱い顕微鏡にはかからない位の微粒子である。だからその内容の複雑さや、そのあらわし得る能力の程度なぞも、やはり人間全体の能力の何十兆分の一ぐらいのものであろう……いずれにしても極度に単純な、無力なものであろう……というのが今日までの科学者の頭の大部分を支配して来た考えであった。だからその後その細胞の不可思議な生活、繁殖、遺伝等の能力が、次から次に発見されて科学者を驚異させて来たけれども、その研究は依然として顕微鏡で覗かれ、化学で分析され得る範囲……すなわち唯物科学で説明され得る範囲の研究に限られて来たもので、大体の考え方は、やはり人体の何十兆分の一という程度の単純な、無力なもの……という概念を一歩も踏出していない。そうしてソレ以上の研究をするのは唯物科学を冒涜するものである。学者として一つの罪悪を犯すものであるとさえ考えられて来た。
 しかしこれは現代の所謂《いわゆる》、唯物科学的な論法に囚《とら》われて来た学者連中が、細胞の内容や能力を、その形や大きさから考えて「多分これ位のものだろう」という風に見当をつけた、極めて不合理な一つの当て推量が、先入主となったところから起った量見違いである。生命の神秘、夢の不可思議なぞいう科学界の大きな謎が、いつまで経っても不可解のままに取残されているのは、そうした「葭《よし》の髄から天井覗く」式の囚われた、唯物論的に不自由、不合理な……モウ一つ換言すれば科学に囚われ過ぎた非科学的な研究方法によって、広大無辺な生命の主体である細胞を研究するからである事が、ここに於て首肯されなければならぬ。そんな旧式の学問常識や、囚われたコジツケ論に対する従来の迷信を一掃して、もっと自由な、囚われない態度で、宇宙万有を観察すると同時に、この問題を、もっと適切明瞭な、実際的な現象に照し合せて考えてみると、その一粒の細胞の内容には、顕微鏡や、化学実験室で観測、計量し得るよりも遥かに偉大、深刻な、実に宇宙全体と比較しても等差を認められない程の内容が含まれている事実が、現代を超越した真実の科学知識によって気付かれなければならぬ。所謂、唯物科学的な研究、考察方法を、生命《いのち》の綱と迷信している人々が、如何に否定しようとしても否定出来ない事実に直面しなければならぬ。
 その第一に挙げなければならぬのは細胞が、人間を造り上げる能力である。すなわち生命《いのち》の種子《たね》として母胎に宿った唯一粒の細胞は、前に述べた通りの順序で、分裂して生長しながら、先祖代々の進化の跡を次から次へと逐《お》うて成長して来る。あそこはああであった。ここはこうであったと思い出し思い出し、魚、蜥蜴《とかげ》、猿、人間という順序に寸分間違いなく自分自身を造り上げて来る。しかも一概には云えないが、なるべく両親の美点や長所を綜合して、すこしでも進歩したものにしようとするので、耳、目、鼻、口の位置は万人が万人同様でありながら……これは妾《あたし》の児《こ》だ。誰にも似ている。彼にも肖《に》ている。癇癪《かんしゃく》の起し具合はお父さんに生き写しだ。物覚えのいいところは妾にソックリだ……なぞと極めて細かいところまで微妙に取合せて行く。その細胞一粒一粒の記憶力の凄まじさ。相互間の共鳴力、判断力、推理力、向上心、良心、もしくは霊的芸術の批判力等の深刻さはどうであろう。更にその細胞の大集団である人間が、宇宙間の森羅万象に接してこれを理解し、又はこれに共鳴感激して、国家とか社会とかいう大集団を作って共同一致、人類文化を形成して行く。その創造力の深遠広大さはどうであろう。そのような、殆ど全智全能ともいうべき大作用のすべては、帰納するところ、結局、最初のタッタ一粒の細胞の霊能の顕現《あらわれ》でなければならぬ。換言すれば現代人類の、かくも広大無辺な文化と雖《いえど》も、その根元を考えてみると、こうした顕微鏡的な存在に過ぎない細胞の一粒の中に含まれている霊能が全地球表面上に反映したものに外ならぬのである。
[#ここから1字下げ]
 ◇備考[#「◇備考」は太字] 斯様《かよう》に偉大な内容を持つ細胞の大集団が、脳髄の仲介によって、その霊能を唯一つ、即ち各細胞共通、共同の意識下に統一したものが人間である。だからその人間があらわす知識、感情、意志なぞいうものは、細胞一粒一粒のソレよりも遥かに素晴しいものでなければならない筈であるが、事実はその正反対になっているので、世界初まって以来、如何なる賢人、又は偉人と雖《いえど》も、細胞の偉大な霊能の前には無力同然……太陽の前の星の如く拝跪《はいき》しなければならない。すなわち人間の形に統一された細胞の大集団の能力は、その何十兆分の一に当る細胞の能力の、その又何十兆分の一にも相当しないという奇現象を呈している。これは人間の身体各部に於ける細胞の霊能の統一機関……すなわち脳髄の作用が、まだ十分の進化を遂げていないために、細胞の霊能の全分的な活躍が妨げられているものと考えられる。同時に、地上最初に出現した生命《いのち》の種子《たね》である単細胞が、地上に最初に出現した時の初一念? とその無限の霊能が、その霊能を地上に具体的に反映さすべく種々の過程を経て、最有利、有能な人間にまで進化して来て、まだまだ有利、有能な生物に進化して行きつつある。その過渡期の未完成の生物が現在の人間であるがために、斯様《かよう》な矛盾、不都合な奇現象があらわれて来るものとも考えられる次第である。しかしこの事は極めて重大な研究事項で、一朝一夕に説《と》き尽し得べき限りでないからここには唯参考として一言しておくに止める。
[#ここで字下げ終わり]
 而《しか》して人間の肉体、及び精神と、細胞の霊能との関係が、斯様に明白となった以上「夢」なるものの本質に関する説明も亦《また》、極めて容易となって来るのである。
 すべての細胞はその一個一個が、吾々一個人の生命と同等、もしくはそれ以上の意識内容と、霊能を持っている一個の生命である。だから、すべての細胞は、それが何か仕事をしている限り、その労作に伴うて養分を吸収し、発育し、分裂、増殖し、疲労し、老死し、分解、消滅して行きつつある事は近代医学の証明しているところである。しかもその細胞の一粒一粒自身が、その労作し、発育し、分裂し、増殖し、疲労し、分解し、消滅して行く間に、その仕事に対する苦しみや、楽しみを吾々個人と同等に、否それ以上に意識している……と同時に、そうした楽しみや苦しみに対して、吾々個人が感ずると同等、もしくはそれ以上の聯想、想像、空想等の奇怪、変幻を極めた感想を無辺際に逞《たくま》しくして行く事は、恰《あたか》も一個の国家が興って亡びて行くまでの間に千万無量の芸術作品を残して行くのと同じ事である。
 この事実を端的に立証しているものが、即ち吾々の見る夢である。
 そもそも夢というものは、人間の全身が眠っている間に、その体内の或る一部分の細胞の霊能が、何かの刺戟で眼を覚まして活躍している。その眼覚めている細胞自身の意識状態が、脳髄に反映して、記憶に残っているものを吾々は「夢」と名付けているのである。
 たとえば人間が、不消化物を嚥《の》み込んだまま眠っていると、その間に、胃袋の細胞だけが眼を醒ましてウンウンと労働している。……ああ苦しい。やり切れない。これは一体どうなる事か。どうして俺達ばっかりコンナに非道《ひど》い眼に逢わされるのか……なぞと不平満々でいると、その胃袋の細胞の涯《はて》しもない苦しい、不満な気持が、一つの聯想となって脳髄に反映されて行く。すなわちその苦しい思いの主人公が、罪の無いのに刑務所に入れられて、重たい鎖に繋《つな》がれて、自分の力以上の石を担《かつ》がせられてウンウン唸《うな》りながら働いているところ………不可抗的な大きな地震で、家の下敷になって、藻掻《もが》きまわって、悲鳴を上げているところなぞ……そのうちにその苦しい消化の仕事が楽になって来るとヤレヤレという気持になる。……そうすると夢の中の気持……脳髄に反映されて行く聯想や空想の内容も楽になって、山の絶頂で日の出を拝んでいるところだの、スキーに乗って素晴しいスロープを一気に辷《すべ》り下る気持だのに変る。
 或《あるい》は又、寝がけに「彼女に会いたいな」と思って眼を閉じていると、その一念の官能的な刺戟だけが眠り残っていて、彼女の処へ行きたくてたまらないのに、どうしても行けない自烈度《じれった》い気持を、夢として描きあらわす。彼女の姿は美しい花とか、鳥とか、風景とかいうものによって象徴されつつ彼の前に笑《え》み輝いているが、それを手に入れようとすると、色々な邪魔が出て来てなかなか近附けない。その細胞の記憶に残っている太古時代の天変地妖が、突然、眼の前に現われて来るかと思うと、祖先の原人が住んでいた地方の物凄い高山、断崖が見えて来る。その中を祖父が落《おち》ぶれて乞食していた時の気持になったり、親父《おやじ》が泳ぎ渡った大川の光景を、同じ思いをして泳ぎ渡ったりする。又は猿になって山を越えたり、魚になって海に潜ったりしつつ、千辛万苦してヤット彼女を……花、もしくは鳥を手に入れる事が出来た……と思うと、最初の自烈度《じれった》い気持がなくなるために、その夢もお終《しま》いになって目を醒ます。
 そのほか寝小便のお蔭で、太古の大洪水の夢を見る。鼻が詰まったお蔭で、溺れ死にかかった少年時代の苦しみを今一度、夢に描かせられる。なぞ……斯様《かよう》にして手でも足でも、内臓でも、皮膚の一部でも、どこでも構わない。全身が眠っている間に、何等かの刺戟を受けて目を醒ましている細胞は、きっとその刺戟に相応《ふさわ》しい対象を聯想し、空想し、妄想している……何かの夢を見ている。すなわちその時その時の細胞の気持に相応した、又は似通った場面や、光景を、その細胞自身が先祖代々から稟《う》け伝えて来た記憶や、その細胞の主人公自身の過去の記憶の中から、手当り次第に喚び起して、勝手気儘に重ね合せたり、繋ぎ合せたりしつつ、そうした気持を最も深刻、痛切に描きあらわしている。もしそうした気分が非常識、もしくは変態的なもので、それに相応した感じをあらわす聯想の材料が見当らない場合には、すぐに想像の品物や、風景で間に合せ、埋め合せて行く。人体内に於ける細胞独特の恐怖、不安をあらわすために、蚯蚓《みみず》や蛇のようにのたくりまわる台所道具を聯想したり、苦痛をあらわすために、鮮血の滴《したた》る大木や、火焔の中に咲く花を描きあらわしたりする事は、恰《あたか》も神秘の正体を知らない人間が、羽根の生えた天使を考えるのと同様である。
 これは吾々の眼が醒めている間の気分が、周囲の状況によって支配されつつ変化して行くのとは正反対で、夢の中では気分の方が先に立って移り変って行く。そうしてその気分にシックリする光景、風物、場面を、その気分の変って行く通りに、あとから追いかけ追いかけ千変万化させて行くのであるから、その千変万化が如何に突飛《とっぴ》な、辻褄《つじつま》の合ないものであろうとも、その間《かん》に何等の矛盾も、不自然も感じない。のみならず現実式の印象よりも却《かえ》って自然な、深刻、痛切な感じを受けるように思うのは当然の事である。
 換言すれば夢というものは、その夢の主人公になっている細胞自身にだけわかる気分や感じを象徴する形象、物体の記憶、幻覚、聯想の群れを、理屈も筋もなしに組み合せて、そうした気分の移り変りを、極度にハッキリと描きあらわすところの、細胞独特の芸術という事が出来るであろう。
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 ◇備考[#「◇備考」は太字] 欧米各国に於ける各種の芸術運動の近代的傾向は、無意味なもしくは断片的な色彩音響、又は突飛な景象物体の組合せ等によって、従来の写実的、もしくは常識的の表現法以上の痛切、深刻な気分を表現しようとする事によって、漸次、夢の表現法と接近しつつある。
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 夢の正体が、細胞の発育、分裂、増殖に伴う、細胞自身の意識内容の脳髄に対する反映である事は以上説明する通りであるが、次に夢の内容に於て感ずる時間と、実際の時間とが一致しない理由を明かにする。すなわち一般の人々が、時計とか、太陽とかに依《よ》って示される時間を、真実の時間と信じているために、如何に大きな錯覚を起して、厳正な科学的の判断に錯覚を来《きた》し、驚愕し、面喰いつつあるかを説明すれば、この疑問は立所《たちどころ》に氷解する筈である。
 現代医学に依ると普通人の平静な呼吸の約十八、もしくは脈搏の七十幾つを経過する時間を標準として一分間と定めている。その六十倍が一時間、その二十四倍が一日、その又三百六十幾倍が一年と規定してある。同時にその一年は又、地球が太陽を一周する時間に相当する事になっているので、信用ある会社で出来る時計が示す時間は、万人一様に同じ一時間という事になっているのであるが、しかしこれは要するに人工の時間で、真実の時間の正体というものは、そんなものではない。その証拠には、その同じ長さの人工の時間を各個人が別々に使ってみると、そこに非常な相違が現われて来るから不思議である。
 手近い例を挙ぐれば、同じ時計で計った一時間でも、面白い小説を読んでいる一時間と、停車場でボンヤリ汽車を待っている一時間との間には驚くべき長さの相違がある。尺竹《しゃくだけ》で計った品物の一尺の長さが、万人一様に一尺に見えるような訳には行かないのである。又は水に潜って息を詰めている一分間と、雑談をしている一分間とを比較しても思い半ばに過ぐる事で、前者はたまらない程長く感ずるのに反して、後者は一瞬間ほどにも感じない……というのが偽らざる事実でなければならぬ。
 更に今一歩進んでここに死人があるとする。その死人は、その死んだ後《のち》に於ても、その無感覚の感覚によって、時間の流れを感じているとすれば、一秒時間も、一億年も同じ長さに感じている筈である。又そう感ずるのが死後の真実の感覚でなければならぬので、すなわち一秒の中《うち》に一億年が含まれていると同時に、宇宙の寿命の長さと雖《いえど》も一秒の中《うち》に感ずる事が出来る訳である。この無限の宇宙を流れている無限の時間の正体は、そんなような極端な錯覚、すなわち無限の真実の裡《うち》に、矢の如く静止し、石の如く疾走しているものに外ならないのである。
 真実の時間というものは、普通に考えられている人工の時間とは全く別物である。むしろ太陽、地球、その他の天体の運行、又は時計の針の廻転なぞとは全然無関係のままに、ありとあらゆる無量無辺の生命の、個々別々の感覚に対して、同時に個々別々に、無限の伸縮自在さを以て静止し、同時に流れているもの……という事が、ここに於て理解されるのである。
 次に、地上に存在している生命の長さを比較してみると、何百年の間、茂り栄える植物や、百年以上生きる大動物から、何分、何秒の間に生れかわり死にかわる微生物まであるが、大体に於て、形の小さい者ほど寿命が短かいようである。細胞も亦同様で、人体各別の細胞の中で寿命の長いものと短かいものとの平均を取って、人間全体の生命の長さに比較してみると、国家の生命と個人の生命ほどの相違があるものと考え得る。しかし、それ等の長い、又は短かい色々の細胞の生命が、主観的に感ずる一生涯の長さは同じ事で、その生れて死ぬまでの間が、人工の時間で計って一分間であろうが百年であろうが、そんな事には関係しない。生まれて、成長して、生殖し老衰して、死滅して行きつつ感ずる実際の時間の長さは、どれも、これも同じ一生涯の長さに相違ないのである。この道理を知らないで、朝生まれて夕方死ぬ嬰児《あかんぼ》の哀れさを、同じく朝生まれて日暮れ方に老死する虫の生命と比較して諦めようとするのは馬鹿馬鹿しく不自然、且《かつ》、不合理な話で、畢竟《ひっきょう》するところ、融通の利かない人工の時間と、無限に伸縮自在な天然の時間とを混同して考えるところから起る悲喜劇に過ぎない。
 一切の自然……一切の生物は、かように無限に伸縮自在な天然の時間を、各自、勝手な長さに占領して、その長さを一生の長さとして呼吸し、生長し、繁殖し、老死している。同様に人体を作る細胞の寿命が、人工の時間で計って如何に短かくとも、その領有している天然の時間は無限でなければならぬ。だからその細胞が、その無限の記憶の内容と、無限の時間とを使って、大車輪で「夢」を描くとすれば、五十年や、百年の間の出来事を一瞬、一秒の間に描き出すのは何の造作もない事である。支那の古伝説として日本に伝わっている「邯鄲夢枕物語《かんたんゆめまくらものがたり》」に……盧生《ろせい》が夢の五十年。実は粟飯一炊《あわめしいっすい》の間……とあるのは事実、何の不思議もない事である。
 以上述ぶるところによって、タッタ一粒の細胞の霊能が、如何に絶大無限なものであるか、その中でも特に、そのタッタ一粒の「細胞の記憶力」なるものが、如何に深刻、無量なものがあるかという事実の大要が理解されるであろう。人間の精神と肉体とを同時に胎生し、作り上げて行く「細胞の記憶力」の大作用を如実に首肯されると同時に……何が胎児をそうさせたか……という「胎児の夢」の存在に関する疑問の数々も、大部分氷解されたであろうと信ずる。
 胎児は母の胎内に在って、外界に対する感覚から完全に絶縁されているために、深い深い睡眠と同様の状態に在る。その間に於て、胎児の全身の細胞は盛んに分裂し、繁殖し、進化して、一斉に「人間へ人間へ」と志しつつ……先祖代々が進化して来た当時の記憶を繰返しつつ、その当時の情景を次から次へと胎児の意識に反映させつつある。しかもその胎児は、前述の通り、母胎によって完全に外界の刺戟から遮断されていると同時に、極めて平静、順調に保育されて行くために、ほかの事は全く考えなくてよろしい。ただ一心に「人間へ人間へ」という夢一つを守って行けば宜しいので、その夢の内容も亦《また》、極めて順調、正確に、精細をきわめつつ移りかわって行く。この点が、勝手気儘な、奔放自在な成人の夢と違っているところである。
 これを逆に説明すれば、胎児を創造するものは、胎児の夢である。そうして胎児の夢を支配するものは「細胞の記憶力」という事になる。すべての胎児が母胎内で繰返す進化の道程と、これに要する時間が共通一定しているのはこのためで、現在の人類が、或る共同の祖先から進化して来たために、細胞の記憶、即ち「胎児の夢」の長さが共通一定しているからである。又その無慮数億、もしくは数十億年に亘るべき「胎児の夢」が、僅に十個月の間に見てしまわれるのも、前述の細胞の霊能を参考すれば、決して怪しむべき事ではないので、進化の程度の低い動物の胎生の時間が、割合に短かいのは、そんな動物の進化の思い出が比較的簡単だからである。……だから元始以来、何等の進化も遂げていない下等微生物になると全然「胎児の夢」を有《も》たない。祖先そのままの姿で一瞬の間に分裂、繁殖して行くという理由も、ここに於て容易《たやす》く首肯される筈である。
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◇備考[#「◇備考」は太字] 如上の事実、すなわち「細胞の記憶力」その他の細胞の霊能が、如何に深刻、微妙なものがあるか。そうしてそれが一切の生物の子々孫々の輪廻転生《りんねてんしょう》に、如何に深遠微妙な影響を及ぼしつつ万有の運命を支配して行くものであるかという事に就ては、既に数千年以前から、埃及《エジプト》の一神教を本源とする、各種の経典に説かれているので、現在、世界各地に余喘《よぜん》を保っている所謂《いわゆる》、宗教なるものは、こうした科学的の考察を粉飾して、未開の人民に教示した儀礼、方便等の迷信化された残骸である。だからこの胎児の夢の存在も、決して新しい学説でない事を特にここに附記しておく。
[#ここで字下げ終わり]
 然《しか》らば、その吾々の記憶に残っていない「胎児の夢」の内容を、具体的に説明すると、大要どのようなものであろうか。
 これはここまで述べて来た各項に照し合せて考えれば、最早《もはや》、充分に推測され得る事と思うが、尚参考のために、筆者自身の推測を説明してみると大要、次のようなものでなければならぬと思う。
 人間の胎児が、母の胎内で見て来る先祖代々の進化の夢の中で、一番よけいに見るのは悪夢でなければならぬ。
 何故かというと、人間という動物は、今日の程度まで進化して来る間に、牛のような頭角も持たず、虎のような爪牙《そうが》もなく、鳥の翼、魚の保護色、虫の毒、貝の殻なぞいう天然の護身、攻撃の道具を一つも自身に備付《そなえつ》けなかった。ほかの動物と比較して、はるかに弱々しい、無害、無毒、無特徴の肉体でありながら、それをそのまま、あらゆる激烈な生存競争場裡に曝露して、あらゆる恐ろしい天変地妖と闘いつつ、遂に今日の如き最高等の動物にまで進化し、成上《なりあが》って来た。その間には、殆ど他の動物と比較にならない程の生存競争の苦痛や、自然淘汰の迫害等を体験して来た筈で、その艱難辛苦の思い出は実に無量無辺、息も吐《つ》かれぬ位であったろうと思われる。その中でも自分の過去に属する、自分と同性の先祖代々の、何億、何千万年に亘る深刻な思い出を、一々ハッキリと夢に見つつ……それを事実と同じ長さに感じつつ……ジリジリと大きくなって行く、胎児の苦労というものは、とてもその親達がこの世で受けている、短かい、浅墓《あさはか》な苦労なぞの及ぶところではないであろう。
 まず人間のタネである一粒の細胞が、すべての生物の共同の祖先である微生物の姿となって、子宮の内壁の或る一点に附着すると間もなく、自分がそうした姿をしていた何億年前の無生代に、同じ仲間の無数の微生物と一緒に、生暖かい水の中を浮游《ふゆう》している夢を見初める。その無数とも、無限とも数え切れない微生物の大群の一粒一粒には、その透明な身体に、大空の激しい光りを吸収したり反射したりして、或は七色の虹を放ち、又は金銀色の光芒《こうぼう》を散らしつつ、地上最初の生命の自由を享楽しつつ、どこを当ともなく浮游し、旋回し、揺曳しつつ、その瞬間瞬間に分裂し、生滅して行く、その果敢《はか》なさ。その楽しさ。その美しさ……と思う間もなく自分達の住む水に起った僅かな変化が、形容に絶した大苦痛になって襲いかかって来る。仲間の大群が見る見る中《うち》に死滅して行く。自分もどこかへ逃げて行こうとするが、全身を包む苦痛に縛られて動く事が出来ない。その苦しさ、堪まらなさ……こうした苛責が、やっと通り過ぎたと思うと、忽《たちま》ち元始の太陽が烈火の如く追い迫り、蒼白い月の光が氷の如く透過する。或は風のために無辺際の虚空に吹き散らされ、又は雨のために無間《むげん》の奈落《ならく》に打落される。こうして想像も及ばぬ恐怖と苦悩の世界に生死も知らず飜弄されながら……ああどうかしてモット頑丈な姿になりたい。寒さにも熱さにも堪えられる身体《からだ》になりたい……と身も世もあられず悶《もだ》え戦《おのの》いているうちに、その細胞は次第に分裂増大して、やがてその次の人間の先祖である魚の形になる。即ち暑さ寒さを凌《しの》ぎ得る皮肌、鱗《うろこ》、泳ぎ廻る鰭《ひれ》や尻尾《しっぽ》、口や眼の玉、物を判断する神経なぞが残らず備わった、驚くべき進歩した姿になる。……ああ有難い、これなら申分《もうしぶん》はない。俺みたような気の利いた生物はいまい……と大得意になって波打際を散歩していると、コワ如何に、自分の身体の何千倍もある章魚《たこ》入道が、天を蔽《おお》うばかりの巨大な手を拡げて追い迫って来る。……ワッ――助けてくれ……と海藻の森に逃込んで、息を殺しているうちにヤット助かる。そこでホッと安心してソロソロ頭を持上げようとすると、今度は、思いもかけぬ鼻の先に、前の章魚よりも何十層倍大きな海蠍《うみさそり》の鋏《はさみ》が詰め寄って来る。スワ又一大事と身を飜えして逃げようとすると背中から雲かと思われる三葉虫が蔽いかかる。横の方からイソギンチャクが毒槍を閃《ひら》めかす。その間を生命《いのち》からがら逃出して、小石の下に潜り込むと……ブルブル。ああ驚いた。情ない事だ。コンナ調子では未だ安心して生きておられない。一緒に進化して来た生物仲間は物騒だというので、自分の身体を固い殻で包んだり、岩の間から手足だけ出したりしているが、自分はあんな事までしてこの暗い、重苦しい水の中に辛棒しているのは厭《いや》だ。それよりも早く陸《おか》に上りたい。あの軽い、明るい空気の中で自由に、伸び伸びと跳廻《はねまわ》られる身体になりたい……と一所懸命に祈っているとその御蔭で、小さな三つ眼の蜥蜴《とかげ》みたようなものになってチョロチョロと陸《おか》の上に匍《は》い上る事が出来た。
 ……ヤレ嬉しや。ありがたや……とキョロキョロチョロチョロと駈けまわる間もなく、今度は世界が消え失せるばかりの大地震、大噴火、大海嘯《おおつなみ》が四方八方から渦巻き起る。海は湯のように沸き返って逃込む処もない。焼けた砂の上で息も絶え絶えに跳ねまわっているその息苦しさ。セツナサ……その苦しみをヤッと通り越したと思うと今度は、山のような歩竜《イグアノドン》の趾《あし》の下になる。飛竜《プラテノドン》[#ルビの「プラテノドン」はママ]の翼に跳ね飛ばされる。始祖鳥《アルケオフェリクス》の妖怪然たる嘴《くちばし》にかけられそうになる。……アアたまらない。やり切れない。一緒に進化して来た連中は、身体中に刺《とげ》を生やしたり、近まわりの者に色や形を似通わせたり、甲羅《こうら》を被《かぶ》ったり毒を吹いたりしているが、あんな片輪《かたわ》じみた、卑怯な、意久地《いくじ》のない真似をしなくとも、もっと正しい、囚《とら》われない、温柔《おとな》しい姿のまんまで、この地獄の中に落付いていられる工夫はないか知らんと……石の間に潜んで、息を殺して念じ詰ていると、頭の上の顱頂孔《ヒクメキ》の処に在る眼玉が一つ消え失せて、二つ眼の猿の形に出世して、樹から樹へ飛び渡れるようになった。
 ……サア占《し》めたぞ。モウ大丈夫だぞ。俺ぐらい自由自在な、進歩した姿の生物はいまいと、木の空から小手を翳《かざ》していると、思いもかけぬ背後《うしろ》から蟒蛇《うわばみ》が呑みに来ている。ビックリ仰天して逃出すと、頭の上から大鷲が蹴落しに来る。枝の間を伝《つたわ》って逃げ了《おお》せたと思うと、今度は身体《からだ》中に蝨《だに》がウジャウジャとタカリ初める。山蛭《やまひる》が吸付きに来る。寝ても醒ても油断が出来ない中《うち》に、やがて天地も覆《くつがえ》る大雷雨、大|颶風《ぐふう》、大氷雪が落《おち》かかって、樹も草もメチャメチャになった地上を、死ぬ程、狂いまわらせられる。……ああ……セツナイ。堪《たま》らない。自分は何も悪い事はしないのに、どうしてコンナに非道《ひど》い目にばかり遭うのであろう。どうかしてモット豪《えら》い者になって、コンナ災難を平気で見ておられる身体になりますように……と木の空洞《うつろ》に頭を突込んで、胸をドキドキさせながら祈っていると、ようようの事で尻尾《しっぽ》が落ちて、人間の姿になる事が出来た。
 ……ヤレ嬉しや。有難や。これから愈々《いよいよ》極楽生活が出来るのかと思っていると、どうしてどうして、夢はまだお終《しま》いになっていない。人間の姿になると直ぐに又、人間としての悪夢を見初めるのである。
 胎児の先祖代々に当る人間たちは、お互い同志の生存競争や、原人以来遺伝して来た残忍卑怯な獣畜心理、そのほか色々勝手な私利私慾を遂げたいために、直接、間接に他人を苦しめる大小様々の罪業を無量無辺に重ねて来ている。そんな血みどろの息苦しい記憶が一つ一つ胎児の現在の主観となって眼の前に再現されて来るのである。……主君を弑《しい》して城を乗取るところ……忠臣に詰腹《つめばら》を切らして酒の肴《さかな》に眺めているところ……奥方や若君を毒害して、自分の孫に跡目を取らせるところ……病気の夫を乾《ほ》し殺して、仇《あだ》し男と戯れるところ……生んだばかりの私生児を圧殺するたまらなさ……嫁女《よめじょ》に濡衣《ぬれぎぬ》を着せて、首を縊《くく》らせる気持よさ……憎い継子《ままこ》を井戸に突落す痛快さなぞ……そのほか大勢で生娘《きむすめ》を苛《いじ》める、その面白さ……妻子ある男を失恋自殺させる、その誇らしさ……美少年、美少女を集めて虐待する、その気味のよさ……大事な金を遣い棄てる、その愉快さ……同性愛の深刻さ……人肉の美味《うま》さ……毒薬実験……裏切行為……試斬《ためしぎ》り……弱い者|苛《いじ》め……なぞ種々様々のタマラナイ光景が、眼の前の夢となって、クラリクラリと移り変って行く。又は自分の先祖たち……過去の胎児自身が、隠し了《おお》せた犯罪や、人に云い得ずに死んだ秘密の数々が、血塗《ちまみ》れの顔や、首無しの胴体や、井戸の中の髪毛《かみのけ》、天井裏の短刀、沼の底の白骨なぞいうものになって、次から次に夢の中へ現われて来るので、そのたんびに胎児は驚いて、魘《おび》えて、苦しがって、母の胎内でビクリビクリと手足を動かしている。
 こうして胎児は自分の親の代までの夢を見て来て、いよいよ見るべき夢がなくなると、やがて静かな眠りに落ちる。そのうちに母体に陣痛が初まって子宮の外へ押し出される。胎児の肺臓の中にサッと空気が這入る。その拍子に今迄の夢は、胎児の潜在意識のドン底に逃げ込んで、今までと丸で違った表面的な、強烈、痛切な現実の意識が全身に滲《し》み渡る。ビックリして、魘えて、メチャクチャに泣き出す。かようにしてその胎児……赤ん坊はヤットのこと限りない父母の慈愛に接して、人間らしい平和な夢を結び初める。そうしてやがて「胎児の夢」の続きを自分自身に創作すべく現実に眼醒め初めるのである。
 何の記憶もない筈の赤ん坊が、眠っているうちに突然に魘えて泣き出したり、又は何か思い出したようにニッコリ笑ったりするのは、母胎内で見残した「胎児の夢」の名残を見ているのである。生れながらの片輪《かたわ》であったり、精神の欠陥が在ったりするのに対しても、それぞれに相当の原因を説明する夢が、その胎生の時代に在った筈である。又は胎児の骨ばかりが母胎内に残っていたり、或は固まり合った毛髪と、歯だけしか残っていないような所謂《いわゆる》、鬼胎《きたい》なるものが、時々発見されるのは、その胎児の夢が、何かの原因で停頓するか、又は急劇に発展したために、やり切なくなって断絶した残骸でなければならぬ。[#地から1字上げ]――以上――

  空前絶後の遺言書[#「空前絶後の遺言書」は本文より5段階大きな文字]
      ――大正十五年十月十九日夜[#「――大正十五年十月十九日夜」は本文より1段階大きな文字]
[#地から2字上げ]――キチガイ博士手記



哪个有闲的日语触可以来读一下然后提取出一些有用的讯息……
离线rimururu1995
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只看该作者 1楼 发表于: 2010-03-17
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离线石马戒严
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只看该作者 2楼 发表于: 2010-03-17
这本不是有中文译本《脑髓地狱》么,朋友送了一本,摆在书柜里还没翻过
据说龙骑士写海猫也是借鉴了这本书的灵感。
ドグラ・マグラ可以去青空下全本日文。
一入东方深似海
从此……
离线幻想天驱
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只看该作者 3楼 发表于: 2010-03-17
胎儿之梦真的很黄,尤其是第二波弹幕
离线修奇
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只看该作者 4楼 发表于: 2010-03-17
脑髓地狱可是日本推理届三大奇书之一啊
虽然那三本的“奇”需要有一定的推理小说阅读/创作资历才能感受得到(例如在下就没撤了……
离线宵越投钱
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只看该作者 5楼 发表于: 2010-03-17
当年看完日本五大奇书之首的姑获鸟之夏以后差点把书摔了⋯⋯

那本书连叙述性诡计都不是还能让我有摔书的冲动真是不容易啊
离线rlim
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只看该作者 6楼 发表于: 2010-03-18
日本推理界只听到过三大或是四大奇书(加上《匣中的失乐》)的说法,应该没有京极夏彦什么事
离线bzl
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只看该作者 7楼 发表于: 2010-03-18
通过搜索引擎找到了主楼文字的译文,希望能对有闲趣却日语不佳的朋友有所帮助。


胎儿之梦
    ——藉人类胎儿代表其他动植物的全部胚胎。
    ——有关宗教、科学、艺术及其他无限广泛内容之考证、援例与文献的说明、注记予以省
    略,或是仅止於极端概略述及。
    人类胎儿在母亲胎内十个月期间,都是在作一场梦。
    这场梦是由胎儿自己担任主角演出,所以应该称为「物种进化的实录」,是有如数亿年、甚至是数百亿年长度的连续电影。
    故事始於胎儿自身最古老祖先的原始单细胞微生物的生活状态,紧接著为主角的单细胞逐渐变成人类,亦即进化成胎儿形貌的无从想像之漫长岁月,所遭受的惊心骇目天灾地变,抑或自然淘汰、适者生存的窒息般灾难、迫害、艰辛等等体验,是一部由胎儿本身直接又主观描绘的超越想像的奇幻影片。其中当然有实际映现如今已成化石的史前怪异动植物,也有使这些动植物遭致惨死灭种、语言无法形容的壮观天灾地变。另外更描绘出在这样的天灾地变中,残存而进化的原始人类,演化成现在的胎儿之直接双亲为止历代祖先的过程中,所经历深刻、惨痛的生存竞争,以及在各种复杂的欲望驱使下所犯的无数罪孽,结果,这一切化为胎儿的现实罪孽,终至成为极端惊骇颤栗的大恶梦。
    上述的恶梦,藉著以下所述关於「胎生学」和「梦」两大不可思议现象的解决,已经直接或间接获得证明。
    首先,人类胎儿在母亲胎盘内之时,一开始显现的形貌与一切生物共同祖先的原始动物相同,只是一个圆细胞。
    这个圆细胞宿於母体胎盘後不久,就分裂增殖为左右两个细胞,紧密结合成一个生物。
    这左右两个细胞很快又各自分裂增殖为四个,同样紧密结合,摄取来自母体的养分,具备一个生物的功能。像这样,四个、八个、十六个、三十二个、六十四个……呈倍数分裂增殖後紧密结合,逐渐增大,由人类最初祖先的单细胞微生物,在母亲胎盘里依序反覆进化至人类为止历代祖先们的演变过程。
    最先是鱼的形貌。接下来是鱼的前後鳍变化为四足,成了匍伏爬行的水陆两栖动物形貌。
    然後是四足更强壮,成为可以四处奔跑的兽类形貌。
    最後终於尾巴缩人,前足举高化为双手形状,後足直立步行,也就是人的形貌……等到进化至一般胎儿的形貌,才呱呱出生。
    此一顺序所需要的时间每个人尽不相同,但通常不会差异太大。
    这些在胎生学上已是完全确定的事实,属於无人能否定的现象。但若是如此,所有婴儿为何要在母体胎内反覆进行如此繁复的胎生顺序?为何不在成为人的形貌後直接长大出生呢?另外,最初一个细胞为什么会像事先商量好似的,正确反覆胎生的顺序?也就是……
    「是什么让胎儿这么做呢?」
    对此,没有任何一人能够适当加以解释,即使查遍现代的科学书籍也找不到任何答案,只能以「不可思议」几个字说明。
    第二,一切胎儿像这样毫无差错在母体胎内反覆遂行自己历代祖先进化的过程形貌,但因其经过时间非常短暂,把人类历代祖先的动物历经几百万年、甚至几千万年,由鳍变手足、鳞变毛发……之类的顺序,一点一点进化而来的各时代形貌,在仅仅几秒钟或几分钟可数的时间内反覆经历,这点可以算是无法说明的不可思议了,然而更下可思议的是,如此被浓缩的时间与实际进化的时间比例,却并非毫无道理。
    亦即,人类胎儿约莫十个月反覆遂行原始以来祖先们的进化历程,但事实上,其他动物通常进化程度越低,其胎生所需的时间也越短,所以进化程度最低的原始时代细菌和其他单细胞动物,大部分完全没有胎生时间,而是以分裂方式变成新的动物,理由何在?还有,进化程度最高的人类胎儿为什么需要最长的胎生时间?换句话说,「是什么让胎儿这么做?」
    在想要对这问题加以适当解释时,我们发现以现代的科学知识绝对不可能,同样只能用不可思议来形容。
    以上是关於胎儿不可思议现象的实例。接下来试著从解刦学来研究观察如上述所形成的人类「肉体」,同样发现数不胜数的不可思议现象。
    亦即,试著从表面观察人类肉体发现,其进化程度愈高,也就是其胎生过程愈慎重进行,外观就比其他动物高尚优美。柔和且带著威严的五官轮廓、美丽的肌肤、匀称的骨架和肌肉,足以被称为万物之灵。但是,如果剥掉其肉体表皮,拔掉肌肉,检查其内脏,解刦其脑髓和五官详细观察,将可明白其各部分的构造,每一样都是承袭自低等动物进化而来的鱼、爬虫、猿猴等历代祖先的生活器官。也就是说,即使一颗牙齿的形状、一根头发的组织,都忠实记录在惊人的漫长岁月中进化而来所受到自然淘汰的迫害,抑或生存竞争的艰难历史,因此,为了鲜明纪念这样的历史,胎儿才会如此反覆进化,将演变成人类形貌的一切伟大、深刻的记忆注记於每一个细胞中。
    不必说,这种现象已经能够利用进化论、遗传学或解剖学等予以证明,没必要在此详述,问题是,谁记忆这些事情,让胎儿反覆遂行这种历史演进?
    关於「是什么让胎儿这样做呢?」还是无法说明,同样只能用不可思议形容。
    而且,不仅如此!
    如果进一步观察人类的精神内容,则会更深刻痛切的证明这样的事实。
    亦即,人类的精神如果也从表面观察,会发现其完美程度绝非其他动物所能比拟,是以自觉「人类为万物之灵」或「文化的骄傲」的一层「人皮」,包覆自己的精神生活内容,施以称之为常识或人格的巧妙化粧,超然而自得其乐。但一旦剥下其表皮——也就是「人皮」  一看,能彻底发现出现在底下的乃是从该人类远祖之微生物演变成现在的人类形貌为止,经历漫长岁月的自然淘汰、生存竞争迫害,所形成的警戒心理或生存竞争心理遗传下来的不同时代的动物心理样态之事实。
    也就是说,剥掉所谓文化人的表皮——藉著博爱仁慈、正义公道、礼仪制度掩饰的人皮之後,底下出现的乃是野蛮人或原始人的生活心理!
    最能证明这项事实的人乃是天真无邪的幼儿。尚不知披上文化外皮的幼儿,充分发挥同样不知道披上文化外皮的古代民族之个性。拾起木棒就想玩打仗游戏,是延续历经部落与部落、种族和种族之间战争行为之生存竞争,亦即好战的原始人个性之遗传。也就是说,潜藏在细胞里的野蛮人时代的本能记忆,被木棒这种类似武器之物的暗示刺激而苏醒;见到虫类会毫无意义的追逐,则是见到会动的东西就想追逐的狩猎时代心理暗示刺激诱发;至於把捉到的虫类弄断手脚、撕掉翅膀、挤破肚子、火烤等等,只是处置、玩弄、侮辱猎物,或俘虏以彻底满足胜利感、优越感的古代民族残忍个性记忆的重现。还有,将婴儿置於暗处,婴儿会嚎啕大哭,也只是借不会用火的原始人对满是毒蛇猛兽的黑暗世界的恐惧之复活:另外,随处便溺则为昔日睡在树根或草丛时代的习惯之重现。这些都可以藉著现代进步的心理学研究加以说明。
    接著,如果继续剥掉野蛮人或原始人另一层皮,会发现底下溢满畜生,亦即禽兽的个性。
    譬如,同性……也就是陌生的两个男人或两个女人初次见面,表面上会像个人类般互相打招呼,可是内心却显现互相翻白眼,观察对方反应的心理状态,彼此稍不注意,双方马上就会从些微小动作中发现令其不愉快之点,互相皱起鼻头,仿佛街头常见的猫狗互相叫阵般,咒骂对方「畜生」或「禽兽」。另外,在日常生活到处可见比自己弱小之人,忍不住就会想稍微欺负对方:对於妨碍自己行动的人,则希望能有人帮忙杀掉对方;四下无人时,产生想偷窃的念头;偶而想闻一闻他人小便的味道;想埋藏自己的遗物等等如畜生般的心理表现,都是来自於禽兽的个性。
    接著,我们再切开此禽兽个性底下的横隔膜,立刻发现蠕动的虫类心理。
    譬如,企图推落同伴独自爬上高处:绕至无人看见的地方独享美味:做了对自己有利的事隋,立刻想钻进认为最安全的洞穴里;发现营养不错的家伙,会想偷偷接近并且寄生;不管他人感觉,任性做出令人不愉快的动作,力求自我保护:想躲在硬壳里,让敌人无法接近:发现敌人,即使牺牲别人,也尽可能想让自己得救;到了最後关头,挥舞毒针、喷出墨汁、射出小便、放出恶臭,或者利用保护色,幻化为地形地物或比自己强壮者的形状等等,低级、懦弱的人所作之事,皆是这种虫类本能的反应。也就是说,俗谚所谓的「蛆虫」、「米虫」、「爱哭虫」、「吸血虫」、「放屁虫」、「粪虫」、「弱虫」乃是这种虫类时代心理遗传显现的轻蔑言词。
    最後……是虫类心理的核心。亦即,如果切开人类本能最深处的动物心理核心,将会出现与霉菌及其他微生物共同的原始动物的心理。那是只会无意义生存、无意义行动的活动方式,大多是藉著所谓群众心理、流行心理或看热闹心理来表现。如果意义拆开其行动单独观察,会发现似乎完全无意义,可是一旦集合多数,却产生如同多数霉菌聚集同样恐怖的作用!也就是往发光之物、高明之物、大声之物、道理简单之物、刺激明显之物等崭新且易了解之物群聚,但是当然没有判断力,也无理解力,与置於显微镜下的微生物同样无自觉、无主见,恍恍惚惚聚成大群体,虽有无意义的感激、夸耀和安心,最後却毫无作为的突然浸身感激之中舍弃自己的生命……献身於暴动、革命等心理,不过是与这种集中於一滴苹果酸的微生物相同。
    人类的心理在这时候才首度接近物理或化学方式的运动变化法则,亦即,因为和无生物只有些微差异,因此从事政治或其他拉拢人心职业的人物,所利用的就是这种属於人性本位的霉菌特性流露。
     我们人类的精神生活就是,在上述各种心理之中,以最低级、单纯者为中心逐一向外,藉由高级复杂的动物心理包裹,最外层再包裹所谓的人皮,用交际、制度、身分家世、面子人格等等蝴蝶结或标签装饰,施加化粧,喷洒香水,然後昂首阔步於马路上。但若是解剖其内容,绝大部分就如前面所述,只是重现潜藏在人体细胞中历代祖先的动物心理记忆。
    但是,如同前述的肉体解剖观察,问题在於:胎儿如何能够将这样千万无数、复杂多样的心理记忆,包容於细胞潜在意识或本能之中呢?
    还是没办法说明「是什么让胎儿这么做?」。不,甚至一个人的精神内容乃是过去数亿年间的万物进化遗迹的这项事实,都被「人类是万物主灵」或「我是最高等的人类」的浅薄自以为是之态度所掩蔽,处於完全未被注意的状态。
    以上列举胎儿的胎生;以及因胎生而完成的成人肉体和精神上出现有关万物进化遗迹之不可思议现象。接下来则是观察人类所做的「梦」之不可思议现象。
    所谓的梦,自古以来就被视为是不可思议的代表,因此如果碰上一点意外的事,马上会认为「这是不是在作梦?」。见到和实际事物有些差异的奇妙景象,或是出现无法想像的特异、不自然的风景或物品,这些不合於现实世界的心理或物理法则之景物,若是根据连神话或传说也没有的奇想法则,该景物立刻千变万化,因此有关梦的真相和梦中的心理、景象变化法则,困扰古今不知多少学者专家,在此列举以下三项梦的特徽,当作解明梦的本质、真相的线索。
    (一)梦中所发生的事情在进行变换之间,经常出现非常不合情理的部分,不,甚至能说
    这样的情形实在太多,所以才会认为这种超自然景象、物体的不合理活跃、转变就是梦。
    虽然如此,可是在作梦之时,不仅对梦中发生之事不会怀疑其超自然、不合理,反而严肃
    感受到更为现实的深刻痛切。
    (二)以与现实同样的感觉,表现出至今从未见过的风景或天灾地变。
    (三)梦中出现的事情即使是感觉上有如几年或几十年漫长的连续事件,事实上,现代科
    学已证明,作梦的时间仅仅只有几分钟或几秒钟的短暂。
    以上列举有关「胎儿」与「梦」之各种不可思议的现象,乃是无人能够否定的科学界大疑问。但是,这样不可思议的现象,为什么迄今未能解决?为什么迄今犹未找到解决的关键?其中有两个原因存在。
    其一,以前的学者对於有关让人类胎生、而且令因胎生而完成的成人作梦的人体细胞之观念完全不同。另一则是,一般人类对於流动在宇宙间的「时间」观念,有根本上的差异。
    换句话说,组成人体的每一个细胞内容比一个人类的内容还伟大,不,甚至是拥有能够和整个宇宙相比较的完美伟大之内容和性能。所以利用显微镜从外观察一个细胞,以化学方式分析其成份,藉其型态、色彩的变化研究其分裂、繁殖的状况等等老旧的唯物科学方式,当然无法了解细胞之内容与性能的伟大。这就像漠视英雄、伟人生前的功绩,只观察其尸体的外貌、解剖内部,企图确定其伟大个性和性能似的,根本就是缘木求鱼。
    另外,对於所谓的时间也相同。中央气象台、我们身上的腕表、地球与太阳的自转公转等显示的时间,并非真实的时间,只是唯物科学擅自制造的人造时间,属於错觉的时间、伪冒的时间。所谓的真实时间应该不是这种无聊的尺寸所能局限,而是变幻自如、玄奇不可思议的东西。如果人们能够认同此项事实,应该同时也能够认同「胎儿之梦」的存在,当然也就掌握揭开生命之神秘、宇宙之谜团的关键。
    本来,细胞就是只有人体约莫几十兆分之一、小度数显微镜无法捕捉到的微小颗粒,所以其内容的复杂或表现力的程度,应该也是人类整体能力的几十兆分之一……不管如何,细咆是极端的单纯无力。这是至今为止,大部分科学家根深蒂固的观念!因此,当细胞不可思议的生存、繁殖、遗传等能力陆续被发现时,科学家们都为此惊异万分:可是,其研究依然仅止於用显微镜观察、藉化学方式分析的范围,亦即仅限於唯物科学能说明的范围。这样当然无法跨越细胞是人体几十兆分之一程度的单纯无力之概念。他们甚至觉得,若更进一步研究,就等於冒渎唯物科学,是身为学者专家的罪恶。
    伹这却是拘泥於唯物科学理论的学者专家基於形状大小来判断细胞的内容和能力、认为「应该就这么多吧!」的极端不合理推论之先人为主观念所产生的错误。生命的神秘、梦的不可思议等科学界大谜团之所以长久无解而残存至今,就是因为拘泥於这种「井底之蛙」式的不自由、不合理唯物论……换一个方式说明,这就是因为藉著过度拘泥於科学的非科学方式研究方法,想要研究广大无边的生命主体细胞之结果。所以我们必须一扫这种旧式的学问常识和对於受拘泥之唯物理论的迷信,用更不受局限、更自由的态度观察宇宙万物,同时把这个问题与更适切明了的实际现象栢对照,如此将会发现一个细胞的内容,远比利用显微镜或在化学实验室里观测、计量所得的内容更加深刻伟大,甚至与全宇宙相比都毫不逊色之事实。也就是,藉著超越现代的真实科学知识,我们必须直接面对迷信唯物科学研究观察法的人们一心一意想否定却又无法否定的事实。
    首先必须举出的就是,细胞具有创造人类的能力。亦即,身为生命种子、宿於母体胎内的唯二个细胞,依前述顺序分裂增殖,循著历代祖先的进化脚步成长,回想那边是那样、这里是这样的依照鱼、蜥蜴、猿猴、人类的顺序,正确无误的创造自己。虽不能一概而论,但仍旧尽可能综合双亲的优点或长处,努力希望能有多一点点进步,所以虽然每个人的眼耳口鼻位置尽皆栢同,却仍能具备「这是我的儿子」、「酷似他父亲」、「脾气和他父亲一模一样」、「记忆力和我一样好」等等微妙调和。另外,请看每一个细胞的惊人记忆力、柑互间的共鸣力、判断力、推理力、向上力、良心,甚至灵性艺术的批判力等等,是何等深刻!还有,这些细胞的大集团——人类——接触宇宙万物而予以理解,并产生共鸣,创立国家社会这个大群体,共同一致塑造人类文化,其创造力又是何等深远广大!这种几乎可谓全知全能的伟大作用,总归一句,只能认为是最初唯一一个细胞的灵能显现,换言之,现代人类如此广大无边的文化,若深究其根本,只下过是一个存在於显微镜底下的细胞所含有的灵能反映於整个地球表面而已。
    ◇备注:具有如此伟大内容的细胞大集团,透过脑髓的仲介,将其灵能在细胞共同的意识
    下统一而成的就是人类。所以显现出的知识、感情、意志等,照理必须比每一个细胞的
    知识、感情、意志等更完美,但事实上正好相反。所以自从有了世界以来,无论任何贤
    人或伟人,面对细胞的伟大灵能总是形同无力,恰似星星在太阳面前必须跪拜一样……
    亦即,统一成为人类形貌的细胞大集团的能力,呈现不到其几十兆分之一的细胞能力的
    几十兆分之一的怪异现象。这可以视作由於人类身体各部位细胞灵能之统一机构——也
    就是脑髓——的作用尚未充分进化的缘故,导致细胞灵能的充分活跃受到妨碍:同时,
    也能够认为是地球上最初出现生命种子的单细胞在地球上最初出现的唯三昙忌(?)和
    其无限灵能,历经将灵能具体反映於地面的种种过程,进化至最有利、最有能力的人类
    後,又会继续进化至更有利、更有能力的生物,现在的人类只不过是过渡期未完成的生
    物,因此才会出现这种矛盾、不合理的怪异现象。这些是非常重大的研究事项,不是一
    朝一夕得以说明完全,所以在此只是作为参考。
    一旦明白人类肉体及精神与细胞的灵能关系,则有关「梦」之本质的说明就容易了解了。
    近代医学已经证明,所有每一个细胞与我们一个人的生命同样拥有——甚至超越其上—的意识内容与灵能。因此,全部细胞只要从事某项工作,就会伴随吸收养分、发育、分裂、繁殖、疲劳、老死、分解、消灭。而且,每一个细胞本身在工作、发育、分裂、繁殖、疲劳、老死、分解、消灭之间与我们个人一样,甚至更强烈意识到对其工作的苦乐,同时对这样的苦乐与我们个人感受的相同,或有超乎其上的联想、想像与幻想,就好像一个国家从兴盛至衰亡之间会留下无数艺术作品一样。
    证明这项事实的就是我们所作的梦。
    所谓的梦,本来就是人类全身在睡眠时,体内某一部分细胞的灵能受到某种刺激而苏醒,开始活跃後,苏醒的细胞本身的意识状态反映於脑髓,留存於记忆之中。
    譬如,人类吃下不消化的东西後睡觉,这时只有胃细胞苏醒,开始工作,同时不断表示不满,发牢骚:「啊,好难过,做也做下完,这到底是怎么一回事」,或「为什么只有我们必须受苦」等等,於是胃细胞的痛苦和不满情绪就会化为一种联想,反映在脑髓。亦即,恰似觉得受苦的主角无辜被送进牢狱,铐上锁链,又呻吟地扛著超过体力所能负荷的大石头之际,还碰上不可抗力的大地震,被压在房屋底下挣扎……不久,痛苦的消化工作转为轻松,总算松一口气时,梦中的情绪反映於脑髓,联想、幻想的内容随之转为轻松,成为在山顶观看日出或雪橇滑雪的欢乐心情。
    另外,如果睡前想著「真希望见到她」而闭上眼,那么因这一念的官能刺激而难以入睡,冲动的想去找她却怎么也没办法去的焦急心情就会化为梦境描绘出来。她的容貌藉著美丽的花或鸟或风景来象徵,在他梦中灿笑,可是一旦想取得时,却出现各种阻碍而无法接近。这时,不是留存记忆中的远古时代之天灾地变突然出现眼前,就是看见猿人祖先所居住的高山断崖,其中有时会感受祖父落魄乞食的心境,有时则是父亲泳渡大河的情景,也可能变成猿猴攀山越岭,或化身为鱼横渡大海,费尽千辛万苦终於能够到她——花或鸟等美好事物……最後,因为最初刺激心理消失,梦境结束,人随之清醒过来。
    此外,因为尿床而梦见远古时代大洪水;因为鼻塞而在梦中重新描绘少年时代差点溺死的痛苦等等,像这样不管是手、脚、内脏、或皮肤的一部分都无所谓,当全身熟睡之间,受到某种刺激而苏醒的细胞,一定会联想、幻想、妄想与该刺激栢对应的对象作著某种梦。也就是,呼应细胞每个时候的情绪,从细胞本身传自历代祖先的记忆、或细胞过去的记忆,随便唤起类似的场景或情景,描绘出最深刻且痛切的那种情绪。如果该情绪属於非常识或变态,无法找到表现呼应的联想材料时,马上以想像的物品、风景替代。为了表现人体内细胞独特的恐惧和不安,会联想到像蚯蚓或蛇之类弯曲的厨房器具:为了表现痛苦,会描绘滴著鲜血的大树或在火焰中盛开的花朵。这和不知神秘内幕的人类会想出长著翅膀的天使一样!
    这与我们清醒时的心情会受周遭状况支配而变化正好相反。在梦中,心情会先转移变化,随著心情变化,适合该心情的景象、物品、场景会不断跟著千变万化,尽管变化如何突兀、不合隋理,其间也不会感到丝毫矛盾或不自然。不但如此,还觉得比现实印象更自然深刻。
    换句话说,所谓的梦乃是细胞独特的艺术,毫无条理的组合起象徽著唯有梦之主角的细胞本身才能了解的所有影像、物体的记忆、幻觉、联想,然後极端清晰地描绘心情的变化。
    ◇备注:近代欧美国家的各种艺术倾向,常藉著无意义或是片段的色彩音响,抑或突兀的
    景象、物体的组合,企图表现比旧有的常识性表现方式更深刻的心情,这与梦的表现方
    式逐渐接近。
    梦的真相如以上所说明,乃是伴随著细胞的发育、分裂、繁殖,将细胞本身的意识内容反映於脑髓。接下来则说明在梦中感受的时间和实际不一致的理由。亦即,一般人相信靠时钟或太阳显示的时间乃是真正的时间,才会产生非常严重的错觉,惊愕於真正的科学判断。这样,应该足以解释这项疑问吧!
    依据现代医学,将普通人平静的呼吸十八次,或是脉搏跳动七十几下所经过的时间定为一分钟,规定其六十倍为一小时,一小时的二十四倍为一日,一日的三百六十几倍为一年。同时因为一年也相当於地球绕行太阳一周的时间,因此有信用的公司所制造的钟表,其显示的时间就成为具有公信力的时间。但是,这主要还是人造的时间,所谓真正时间并非这种东西,证据是,如果由不同人分别使用这种同样长度的时间,将出现极大的差异。
    举一个手边随处可见的例子。即使用同一时钟计算一小时,阅读有趣小说的一小时与在车站茫然等待火车进站的一小时,长度上有著相当惊人的差异:用竹尺计量物品一尺的长度,并非所有人看起来都是一样长度;潜水闭气的一分钟,和闲话家常的一分钟比较,前者感觉漫长得令人无法忍受,後者却几乎不到一瞬间……这些绝对都是事实。
    再进一步说明,假定这儿有一个死人,该死人在死後也能够藉著其无知觉的感觉感受到时间的流逝,则其一秒钟的长度应该会和一亿年的长度相同。另外,这样的感受必须足死後的真实感受,所以等於感受到一秒钟包含一亿年,同时也在一秒钟感受宇宙寿命的长度。流泄在无限宇宙的恒常时间之真面目,就是如此极端的错觉。在无限的真实背後,时而如箭矢般静止,时而似飞石般疾觎。
    所谓的真实时间和一般人认为的人造时间完全不同!别说是和太阳、地球及其他天体的运行,或是时针的旋转等完全毫无关系,而是对於所有无边无量的生命之个别感觉,同时个别地以无限伸缩自如的静止或流动。
    接下来,试著比较存在地球上的生命长度。在几百年之间,从繁荣茂盛的植物、生存百年以上的大型动物,至仅仅生存几分钟或几秒钟的微生物为止,大体说来,形状愈小者其寿命愈短。细胞也是栢同,在人体个别的细胞中,平均取出寿命较长与寿命较短的细胞,试著比较人类整体生命的长度,能够发现有如国家的生命与个人的生命之差异。但是,这些或长或短的各种细胞生命,其主观感受的一生长度完全相同,不管其由生至死的时间以人造时间计算是一分钟或是一百年,丝毫不受影响。
    历经出生、成长、生殖、衰老、死亡而感受到的实际时间长度,同样都是一生的长度。下知道此种道理,将朝生暮死的婴儿之悲哀,与同样朝生暮死的昆虫生命相比较而觉得绝望,未免显得愚奸、不自然、又不合理,毕竟,这只是将毫无通融的人造时间和无限伸缩自如的天然时间混淆思考的悲喜剧。
    一切的自然……一切的生物把这种无限伸缩自如的天然时间依各自所需的长度占领,视之为一生的长度而呼吸、成长、繁殖、老死。同样地,形成人体的细胞寿命,即使以人造时间计算是何等短暂,其占领的天然时间也必然是无限,因此若细胞使用无限的记忆内容和无限的时间大幅描绘「梦」,很轻松就可以在一瞬间、一秒之间描绘出五十年或一百年之间所发生的事情。在中国古老传说、流传至日本的「邯郸一梦」中,卢生一梦五十年其实只是粟饭一炊的时间,这样的事实一点不可思议之处也没有。
     根据以上所述,各位应该能理解仅只是一个细胞的灵能是何等无限,尤其是其中的「细胞的记忆力」是多么深刻无量吧!在认同让人类的肉体和精神同时胎生完成的「细胞的记忆力」大作用之时,相信有关於「胎儿之梦」当中「是什么让胎儿这么做?」的疑问,应该能冰释大部分吧!
    胎儿因为在母亲胎内,对於外界的感觉完全绝缘,处於与沉睡同样的状态。在其间,胎儿的细胞旺盛分裂、繁殖、进化,竭尽全力只为了「迈向成为人类之路」  ,反覆思索祖先进化当时的记忆,持续将当时情景反映於胎儿的意识。如前所述,藉著母体胎盘完全隔离外界刺激的同时,又极端平静地受到保护,可以下必考虑任何事情,一心一意守住「迈向成为人类之路」的梦即可,所以梦的内容也会极端顺利、正确、精细的转移,这点乃是与任性奔放又自在的成人之梦下同之处。
    若将这种情形反过来说明,那么,创造胎儿的是胎儿之梦,支配胎儿之梦的则是「细胞的记忆力」。胎儿在母亲胎盘内进化的过程和所需的时间相同且固定,这是由於现在人类是由某共同的祖先进化而来,因此细胞的记忆,亦即「胎儿之梦」的长度相同且固定。另外,这种长达数亿甚至数十亿年的「胎儿之梦」能用仅仅十个月作梦梦见,若参考前述的细胞灵能,绝非奇怪之事,而进化程度较低的动物之胎生时间较短,主要是因为该动物的进化回忆比较简单的缘故。因此,自原始以来未完成任何进化的低等微生物完全没有「胎儿之梦」,其理由也是因为它们仍旧与其祖先一样在一瞬间分裂、繁殖。
    ◇备注:上述的事实,也就是「细胞的记忆力」和其他的细胞灵能是何等的深刻微妙?对
    於一切生物的子孙之轮回转世具有何等深远影响?如何支配万物的命运?这些从几千年
    前以埃及一神教为本源的各种经典上都已有所叙述,因此现在世界各地苟廷残喘而成形
    的所谓宗教,就是粉饰这种科学观察、为求方便教导未开化民族而予以迷信化的残骸。
    所以胎儿之梦的存在绝对不是新学说,特此记之。
    那么,如果具体说明并未留在我们记忆的「胎儿之梦」内容,其大概内容又是如何呢?
    虽然对照前此所述的各项,应该能够充分推测,但为了参考起见,必须试著说明笔者自己的推测内容。
    人类胎儿在母体胎盘内所作有关历代祖先进化之梦中,最常做的必须是恶梦。
    原因何在呢?因为所谓人类这种动物,在进化至今日的程度为止,自身完全没有装置像牛那样的角、像虎那样的爪牙、鸟的翅膀、鱼类的保护色、虫类的毒液、贝类的壳等等天然护身或攻击的道具,与其他动物相比,肉体很明显的柔弱、无害、无毒、无特徵,可是却还能够据此暴露於所有激烈生存竞争的场合,与各种天灾地变缠斗,终於进化至像今日这样的最高等动物。这中间,可以想像应该体验过其他动物所难以比拟的生存竞争之痛苦与自然淘汰之迫害,因此其艰难辛苦的回忆绝对无可计数,其中,胎儿二清楚作著属於自己过去和自己同姓的历代祖先长达几亿、几千万年的深刻回忆之梦,又感受到如实际时间更缓慢成长,其辛苦绝非其祖先们在这个世间所感受到的辛苦那样的短暂、肤浅,不是吗?
    首先,人类种子的一个细胞是与一切生物共同祖先相同的微生物,在子宫内壁的某一点著床後下久,随即开始做著与几亿年前无生代的无数微生物同伴浮游於温暖水中的梦。这种无量数、无限数下胜数微生物群体的每一个,其透明的身体吸收反射天空的强光,有的散发七色彩虹,有的射出金银色光芒,享受地球上最初生命的自由,漫无目的浮游、旋转、摇曳,在每一瞬间分裂、生存、死亡,那是何等果敢、欢乐、美好?但是……不久,所居住的水域发生微妙变化,无法形容的莫大痛苦袭来,大多数同伴瞬间死亡,自己也想逃生,可是全身却被痛苦束缚而无法动弹。好下容易挣脱这种痛苦、折磨,却又受到原始太阳如烈火般追迫,苍白月光如寒冰般穿透,或被狂风吹散於无边无际的虚空,被暴雨打落无间地狱。它们饱受这种无法想像的恐怖与不知生死的苦恼所玩弄,苦闷於「啊,我希望让自己变得更强壮」、「我希望身体能够忍受寒暑」的挣扎,细胞开始逐渐分裂增大,终於变成紧接於人类祖先的鱼类形貌。也就是说,完全拥有能够抵抗寒暑的皮肤和鳞、善於游泳的鳍和尾巴、嘴和眼睛、能够判断事物的神经等等,产生非常惊人进步的形貌。
    但是当它得意的在浪边散步,炫耀「啊,太好啦,这样没什么好抱怨了,没有生物可以比我更完美」时,却发现比自己身体不知巨大多少倍的章鱼,伸开足以遮天的手,袭向自己。「哇,救命」,它逃进海藻林中闭住呼吸,不敢出声,好不容易才得救,松了一口气,慢慢抬起头时,却发现比章鱼更巨大几十倍的海蝎,它的巨钳已逼近眼前。它慌忙转身想逃,这时,三叶虫像云一般向自己背上覆盖,海葵从一旁剠出毒枪,奸不容易即时脱身潜入小石头下,全身发抖的向一同进化的生物同伴大叫,说:「啊,太可怕啦,这样还不能安心生存。」
    可是同伴却说它大惊小怪,於是它只好将自己的身体用硬壳包覆住,只将手脚从岩石间伸出。对於自己好不容易历经进化至此,却必须在这种黑暗沉闷的水底忍受煎熬,它觉得非常不甘心,就拚命祈祷「我希望拥有能尽早到陆地,在那样轻快、明亮的空气中自由畅快跳跃的身体」,终於变化为有如小小的三眼蜥蜴那样的东西,跳上陆地。
    「啊,好高兴啊,真好」……它四处跑跳不久,却遇上几乎令世界消失的火山爆发、大地震、大海啸从四面八方袭来,海洋沸腾如开水无路可逃,只能在火烫的砂地上痛苦奔逃,好不容易勉强躲过灾难,这回却置身如山一般高大的巨龙脚趾下,被翼龙的翅膀挥开老远,几乎被始祖鸟像妖怪般的巨嘴啄到。「啊,实在受不了」它大叫。一同进化的同伴有的身体长刺,有的变化为与附近生物同样的颜色或形状,有的披上盔甲,有的喷出毒气,可是它却下愿同样的苟活……它躲在石缝间一心一意祈祷,终於头顶上的一只眼睛消失,进化成两只眼睛的猿猴形貌,跳跃於树梢之间。
    「太好了,这样就没问题啦,应该没有比我更自由自在、进步的生物」,它在树梢上用小手遮眼往四处观望,想不到背後一条蟒蛇袭来,它吓了一跳逃走,头顶上一只大鹫鹰低空飞掠而来,它在千钧一发之际勉强沿著枝哑逃脱,想不到虱虫开始在全身乱窜叮咬,山蛭也过来吸血,下管醒或睡都无法安稳,马上又有覆盖天地的大雷雨、大飓风、大冰雪肆虐大地。「啊,好无奈,我又没做过什么坏事,为何要遭受这样的折磨」、「真希望变成更健壮、可以不担心这种灾难的身体」……它把头埋入树洞里祈祷,终於尾巴掉落,进化成为人类形貌。
    「好高兴,这样真的能过著极乐生活了吧!」
    可是,为什么?为什么呢?梦为什么犹未结束?进化为人类形貌後,不久,又开始作人类的恶梦。
    身为胎儿祖先的人们,由於彼此的生存竞争,以及想要完遂遗传自原始人的残忍卑劣畜兽心理和各种私利私欲,犯下直接间接折磨他人的各种大小罪虐,而这些血腥恐怖的记忆二化为胎儿现在的王观重现眼前。弑君夺城、饮酒欣赏忠臣切腹、毒杀夫人和储君让自己的孙子继承,或是毒害生病的丈夫、与仇敌上床、闷死刚出生的私生子等等难以忍受的喜悦:嫁罪给媳妇,让她上吊自杀的愉快;把可恨的继子推落井中的痛快:折磨多位亲生女儿的有趣;让有妇之夫失恋自杀的骄傲;聚集美少年和美少女虐待的乐趣:花掉重要金钱的愉快:同性之爱的深刻;人肉的美味;毒药实验;背叛行为;尝试杀人;欺负弱者……等等各种令人难以接受的景象,化为眼前的梦逐渐转变。另外,自己的祖先们——过去的胎儿——隐藏的犯罪行为和无法告诉别人的无数秘密,变成血肉馍糊的脸孔、无头的尸体、井中的毛发、天花板上的短刀、沼泽里的白骨等等,逐一出现梦中,这时胎儿会惊骇、恐惧、苦闷,在母亲胎盘内舞动手脚。
    像这样,胎儿作梦至自己父母这一代,终於没有应该作的梦了,这才陷入深深熟睡,不久母亲开始阵痛,他被推出子宫外。空气进入胎儿的肺部瞬间,潜逃至胎儿潜意识深处、与先前截然下同的表面且强烈痛切的现实意识遂渗透至全身,胎儿惊惶,害怕得哭泣出声。似此,胎儿——婴儿——终於接受父母完全的慈爱,开始和人类的和平之梦连结,然後逐渐清醒过来,让「胎儿之梦」续集化为创作自己本身的现实。
    应该没有任何记忆的婴儿在熟睡之间会突然害怕哭泣,或像想到什么般的微笑,可以认为他是梦见了在母亲胎盘内尚未做完的「胎儿之梦」。至於一出生就四肢不全或精神有缺陷,在其胎生时代应该存在著相当足以说明原因的梦。另外,在母亲胎盘内常常发现只留下胎骨,或是牢牢缠在一起的毛发和牙齿的所谓「鬼胎」,必须认为那是胎儿之梦不知何种原因停顿,或是急遽发展,最後断绝所留下的残骸。
    以上
空前绝後的遗书
    ——大正十五年十月十九日
    ——疯子博士手记

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[ 此帖被bzl在2010-03-18 12:46重新编辑 ]
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只看该作者 8楼 发表于: 2010-03-18
有空找来看看……
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只看该作者 9楼 发表于: 2010-03-18
引用第6楼rlim于2010-03-18 09:39发表的  :
日本推理界只听到过三大或是四大奇书(加上《匣中的失乐》)的说法,应该没有京极夏彦什么事 [表情]


那个是后来加上去的,基本是一代作家+一作……的样子?
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只看该作者 10楼 发表于: 2010-03-18
姑获鸟之夏即使在京极堂系列中也不算啥好作品,怎么会算得进奇书之列。
脑髓地狱更像是某种预言书,虽然到现在其理论仍未能得到什么证实。
三大奇书除了献给虚无的供物多少还通俗易懂以外,脑髓地狱和黑死馆杀人事件简直就是折磨读者的存在啊。
ゆっくりしていってね!!
离线修奇
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只看该作者 11楼 发表于: 2010-03-18
引用第10楼みそら于2010-03-18 14:38发表的  :
[表情] 姑获鸟之夏即使在京极堂系列中也不算啥好作品,怎么会算得进奇书之列。
脑髓地狱更像是某种预言书,虽然到现在其理论仍未能得到什么证实。
三大奇书除了献给虚无的供物多少还通俗易懂以外,脑髓地狱和黑死馆杀人事件简直就是折磨读者的存在啊。


在下自己只承认三大,然而后来日本那边评四大五大是确有其事。嘛……………………
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只看该作者 12楼 发表于: 2010-03-18
我也不知道那本姑获鸟是怎么给算进去的,虽然的确是日本人自己算进去的就是了

嘛日本那边怎样都好,要比能让读者产生强烈撕书愿望的作家谁能比得过咱天朝的蔡骏老师⋯⋯三大奇书那种程度的算个毛啊!

感谢blz的译文,回头一定细看
离线zsgtxy
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只看该作者 13楼 发表于: 2010-03-18
google了下找到了原著
脑髓地狱.rar (609 K) 下载次数:45
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只看该作者 14楼 发表于: 2010-03-19
刚刚看完约50万字的全文,准备睡觉。
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